一台の福祉車両との出会い
そして
沢山の人たちとの出会い
そんな中で培われた
この福祉車両と人にたいする
私の想いを書かせていただきました
長文になりますが
是非
お付き合いください
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わたしがこの仕事を 始めようとしたきっかけ
1997年4月のことです
当時わたしは、東京トヨペットで法人を中心とした
新車販売の営業をしていました
トヨタの福祉車両が「ウェルキャブ」という呼び方になり
2年目のそんなある日
仲の良い先輩がわたしに声をかけてきました
先輩 : 「今度の日曜日、時間あるか?」
自分 : 「はっ? 何かあるんですか?」
先輩 : 「すごい車があるんだよ、見に行かない?」
自分 : 「すごい車ですか・・・?」
先輩 : 「うん。もしかすると
人生が変わるかもしれない車 見たくない?」
自分 : 「えっ!人生が変わる車ってどんな車ですか?」
先輩 : 「詳しい事は、言えないよ、当日来ればわかるから」
自分 : 「わかりました、行きますよ」
先輩 : 「よし、決まり、じゃあ
日曜日の午前9時に場所は池袋の○×自動車教習所に集合!」
自分 : 「はい!」
この時はまだ、本当に、わたしの人生が変わる車と出会う事になるとは
思っていませんでした・・・
自分ひとりで、好きな時に、好きな場所へ行けるんだ
当日、約束の時間より少し早めに行くと、先輩はすでに来ていて
隣には
アメリカ製のミニバンがとまっていました
自分 : 「おはようございます、これが例の人生が変わる車ですか?」
先輩 : 「おっ、おはよう! そう、この車だよ」
自分 : 「アメリカのミニバンですよね。普通の車ですよね?」
先輩 : 「まぁ、見てなって」
先輩は、すかさずリモコンでスライドドアを
開けながら車の説明を始めました
先輩 : 「このリモコンでスライドドアを開けて
次に別のボタンを押すとほら
スロープが出てくるよ。車内を覗いてみて」
言われたとおり、車内を覗くとなんと、運転席がないのです!
自分 : 「先輩!もしかしてこの車は・・・」
先輩 : 「そう、この車で車いすのユーザーが介助なしで、
自分ひとりで、好きな時に、好きな場所へ行けるんだ
それも、車いすから運転席へ乗り移る必要がないんだよ
そして横にある
手動運転装置(ジョイスティック)で
アクセルブレーキ、ハンドル操作を行うんだよ」
自分 : 「こんな車、初めて見ました。
じゃあこの車で、仕事にも行けるし、買い物、旅行
ドライブ、デートにも行けますよね!」
しばらくすると、この車の試乗をするために
何人もの車いすユーザーの方々が家族や
友達と一緒に車のところへ集まってきました。
そうです、今日は、この車の試乗会だったんです
この時、車の説明を聞いて試乗をする
車いすユーザーの人たちの笑顔・・・
そう
希望に満ち溢れた、キラキラした笑顔を見てしまったのです
その笑顔を見た瞬間!頭のてっぺんに衝撃がはしりました
まさにカミナリに撃たれたような衝撃でした
この時わたしは思いました
将来必ずや福祉車両を世の中に広めたい!いや、必ず広めよう!
そして、ひとりでも多くのキラキラした笑顔が見たい!と・・・

ちなみに、この時のイベントは「日本財団」がバックアップをした
「JOY-VAN(ジョイバン)プロジェクト」というもので
1997年4月から同年12月まで全国45か所を訪れ
多くの障害者との意見交換やシンポジウムを実施したそうです
この出来事がきっかけで、現在福祉車両改造の仕事をしておりますが
サラリーマンの私が実際に、福祉車両改造の仕事を始めるのは、まだ数年先になります
7年越しの想い
時は流れて、2004年
東京から福島の
実家の自動車整備工場に帰ってきて3年目。
整備士の国家資格も取得し
もう一つ会社の柱になるものを
確立しなければいけないと試行錯誤していました
同時に7年前に心に決めた
「みんなが笑顔になる福祉車両」を世の中に広める
という思いを
どうしたら実現できるかを考えていました
その年の秋、人生を変える出会いがやってきました。
安田火災海上保険(現損保ジャパン日本興亜)から
整備事業者代理店向けに発行している機関誌に
ある会社の記事が掲載されていました
「今お乗りのクルマでも、福祉車両に改造できます」
という内容で
最後には
「この事業を一緒に、やってみませんか?」
と締めくくられていました
この記事を読んだ瞬間
すぐにこの会社に電話をしていました
あいにく担当の方は、留守をしていましたが
その日のうちに折り返しの電話がありました
この時の担当の方が
現在のオフィス清水株式会社の「清水 深」社長です
この清水社長との出会いで
7年越しの思いを実現できることになったのです
福祉車両改造事業に関する考え方や心構え
地元福島県で
福祉車両を必要としているお客様が既にいたわけではなく
福祉車両改造の事業を始めたので
全然仕事はありませんでした
ただその分
清水社長と一緒に地元のディーラーや
病院のリハビリテーション室
役所など一緒にまわっていただきました
そして移動中や食事の時間も
つまり「フィロソフィ」を清水社長に叩き込まれました。
当時は、取扱いの製品が少なくその中で
デモカーも作りました
1台目はトヨタ・スターレットで
「手動運転装置」「左足アクセル」
「旋回グリップ」「左ウィンカーレーバー」のデモカー
2台目はニッサン・キャラバンで
「車いすリフト」「車いす固定装置」
「手すり」「ステップ」を使い「
車いす移動車」のレンタカー
ホームページもつくりました
ホームページと言っても
トップページに画像数枚と
A4一枚分のあいさつ文たったそれだけでした
ただこのホームページを見て
県外からでしたが問い合わせが来たのです
初めて問い合わせをいただき
お客様になった方との出会いは
この福祉車両改造の事業において
わたし自身のベースをつくっていただけました
合わせて、清水社長からも商談は
このように進めるんですというのを
教えていただきました
初めてのお客様との出会い
このお客様(以降Kさんとさせていただきます)の
自宅へ清水社長と伺いました
自宅は、すでにバリアフリー化されていて
駐車スペースから玄関前までは緩やかなスロープ
玄関から上がりかまちの段差もほとんどなく
入ってすぐ左側に広い引き戸があり
その先が、Kさんの部屋です
そこで、Kさんの普段の生活や
外出するときの方法や頻度等を教えていただきました
次に、
身体の状況や車いすからベッドへの移乗方法を聞きました
すると
Kさんは天井を指さし「天井走行式のリフトです」と一言
天井を見ると
ベッドの上から隣の部屋まで引いてありました
ここまで話を聞かせていただき、出た結論は
「車いすのまま乗り込み、そのまま車いすが運転席になるクルマ」が必要
まさしく
自分がこの福祉車両改造の仕事を始めようと
思った時のクルマと一緒です
次に「運転免許証」です
Kさんが入院中に免許証の更新期日がきて
代理でお母さんが警察に行ったところ
警察の担当の方とお母さんの
やりとりがうまくいかず、失効してしまっていました
Kさんと話し合いの結果
筆記も実技も運転免許センターで
直接受験することに決まりました
「車いすのまま乗り込み、そのまま車いすが運転席になるクルマ」
そして
「運転免許証の再取得」
これら2つの課題をなんとかクリアし
もう一度自分で、クルマを運転したい!
というKさんの思い
そんなKさんの思いをなんとか実現したい!
と、強く思いました

まずはじめに
Kさんが乗りこめ運転席まで移動できるクルマを探す
ところから始めました
約半年ほどかかりましたが
運よく希望の仕様のクルマを
手放しても良いという方があらわれ
クルマを用意することが出来ました
次に
このクルマでKさんと一緒に
運転免許センターに行き
「このクルマで運転免許をさせてほしい」
ということを伝えました
事前に連絡を入れてあったので
スムーズに対応していただきました
この日、Kさんは実際にコースを運転しました。
事故で頸椎損傷になり
約3年ぶりのクルマの運転です

Kさんより私の方が、興奮してしまいました。
無事クルマを持ち込んでの受験のOKをいただきました
それから
学科試験の勉強と運転の練習の
スケジュールをつくりました
運よく教習コースを
時間貸ししてくれるところが近くにあり
本番の試験まで練習することが出来ました
もちろんわたしが教官役です
また、外から動画を撮り、どのような運転をしているか
Kさん本人に観てもらいました

途中、褥瘡(じょくそう)が悪化してしまい
Kさんが入院するというアクシデントも
ありました
それでも学科、実技とも全て1発で合格し
見事に運転免許を取得することが出来ました
運転免許センターからKさんの自宅への帰り道
「自分の運転で最初にどこに行きたいですか?」
と聞くと
Kさんは
「病院に行き、リハビリスタッフに自分で運転してきたところを見せたい」
と眼を輝かせて言っていました
一人ひとりのストーリー
Kさんだけでなく
お客様一人ひとりにストーリーがあります
「奥様と一緒に、趣味のカメラで風景を撮るためにまた出かけたい」
そんなTさんは、左足アクセルで運転再開しました
「会社に復職したい」
と言った、Hさんは手動運転装置で運転を再開しました
それだけでなく、ハンドバイク、バドミントン
チェアスキーとわたし以上に
アグレッシブに活動しています
またAさんは
「通院されている奥様の助手席への乗降りを楽にしたい」と
今お乗りのクルマに回転シートを後付けされました
まだまだ、沢山のストーリーがあります
そのストーリーが増えるのと同時に
笑顔の数が増えてくるのだとおもいます
このまま一人で 死んでいくしかないのかと おもった・・・
最後に
2011年3月11日に起きた「東日本大震災」
についてお話します
「このまま一人で 死んでいくしかないのかと おもった・・・」
ある男性の言葉です
この男性は
脳卒中を患いクルマの運転をやめていました
地震での被害も、落ち着かずに
原発の爆発がおこり
周りがどんどん避難をしていく
そんな中
クルマの運転ができない男性は
避難どころか自宅から出ることも
できませんでした
それから数週間後に訪れた
通院先の
リハビリスタッフに
冒頭の言葉を真っ先に言ったそうです
この話を 聞いた時に
「自分ができることは 何か?」
を必死に考えました
「身体に障がいを もっていても
一人でも 多くの方が 正しい方法で
運転できるような 環境づくりを していこう」
「ただ 頼まれて 運転補助装置を
取着けるのではなく しっかりと話を聞き
取着けた後の 生活もイメージする」
この福島でもまた大きな地震が
やってくるかもしれません
もちろん 他の地域にも
2011年3月11日と同じような
いや それ以上の災害が おこるかも しれません
そんな時に 一人でも多くの方が
自力避難できるように
全国の同志たちと 頑張っていきたい
それが、今の私の原動力になっています
想像してみてください・・・
足をつかわずに、上半身だけで運転できる。
シートが出てきて、楽に乗り降りできる
車いすにのったまま出かけられる
そんな願いを叶え
家族みんなの笑顔もはこんでくる
それが私たちが目指す、福祉車両なんです。
仕事、ドライブ、買物、旅行、デート・・・
さあ、みなさん、出かけましょう!

笑顔大好き人間 曲山安宏(マガリヤマ ヤスヒロ)
電話でのお問い合わせは
0247-26-3752